楽譜を見る時、小節線は「目の錯覚」を起こす原因のひとつです。それについては、この記事(譜面を見るときに「目の錯覚」が起きる?)や、この記事(「目の錯覚」により、フレーズが始まる地点を勘違いしてしまう)でも触れました。

音符の流れが小節線で区切られているのを見たら、「そこに区切りがある」と感じてしまうのは人間の知覚にとって当たり前のことかもしれません。

音楽は、今は録音できますが、もともとは演奏した瞬間に空気に消えていく、記録しようのない芸術です。それをなんとかして記録しよう、という試行錯誤の産物が楽譜です。つまり楽譜は、いわば便宜上の道具に過ぎないのです。決して万能の道具ではありません。

楽譜は音楽そのものではない。映画で言えば台本のようなものです。台本を読んでどう演じるか、セリフをどう表現するか。演者の解釈が問われるところです。音楽も同じです。

台本で改行や改ページがあるたびに、その部分でセリフに区切りがあるなどと思うでしょうか? 思いませんよね。改行や改ページは、物語を入れる容器(台本)の仕様であり、物語の中身とは関係ありません。それと同様、小節線は、楽譜という記録システムの仕様に過ぎず、そこに記録されている音楽の中身とは関係がないのです。

つまり、小節線でフレーズが区切れているとか、小節線の次からフレーズが始まる、と解釈してしまうのは間違いなのです。解釈というよりは「目の錯覚による思い込み」なのですが。

多くの場合、フレーズは小節の途中のどこかから始まって、小節線をまたぎ、次の小節の1拍目に着地します。もちろん例外もあります。

この解釈の違いによって、演奏されたフレーズのニュアンスやグルーヴには大きな違いが生まれます。

 

 

 

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